自律的自己責任の徹底主義

つづら塾では、自分の生き方を学問的に探究することを目指します。そのためには、自分がこれまで得た知識や経験を(世界が存在するということさえも)ひとまず括弧に入れ、無効にする、無前提の立場に立つことが必要です。生き方の学問的探究の成否は、まさにこの一点にかかっていると言ってよいでしょう。そうした立場にある「わたし」は、もはや世界のなかに存在せず、自分と世界の関係をまったく新たな態度で反省し、引き受ける「わたし」です。この唯一無比なる「わたし」の存在感と責任感の体得こそ、自分の生き方を学問的に探究するうえでの端緒となります。

生活世界からの出発

わたしたちは学校で、多くの科学的知識を学びます。そしてたいてい、それらを特に疑うことなく受け入れているわけです。その無批判的受容には、自然科学が描く世界はそれ自体で存在する客観的な真の世界であるという、根強い前提が含まれています。しかし、生き方を学問的に探究するうえで、こうした前提もまた容赦なく無効にされなければなりません。わたしたちが新たに探究の手引きとするのは、わたしたちが日常的に目にし、耳にし、肌で触れている、主観的で曖昧な生活世界です。つづら塾では、わたしたちに身近な生活世界を出発点とし、自分と世界の多層的な関係を省察していきます。

不断の検証

生き方の学問的探究は、決して一挙に進むものではありません。それは、その探究の領野が広大だからということもありますが、その歩みの性格によることでもあります。自分の生き方を学問的に探究すべく無前提の立場に立った「わたし」は、そこにずっと居続けるわけではなく、日常的な態度に戻ったり、学問的な態度に移行したりすることを繰り返すのです。そうした過程で、一度獲得した知見や記述した文章に誤りや不足が見いだされることがあります。いかに厳格な学問的態度であっても、完全を期すことは難しく、こうした不完全性を、不断の検証によって改善していくことが求められます。